東京高等裁判所 昭和35年(ネ)737号 判決 1963年10月03日
控訴人 箕輪一郎
被控訴人 武蔵野税務署長
訴訟代理人 加蔵宏 外四名
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は、控訴人の負担とする。
事 実 <省略>
理由
一、控訴人は、昭和二九年三月一五日に被控訴人に対し昭和二八年度の事業所得を金六七六、六五八円と申告し、所得税金一六九、〇〇〇円を納付したこと、被控訴人は、同年四月三〇日に所得額を金八九六、九三〇円と更正する旨を決定し、同年五月二日にその旨を原告に通知したこと、その後控訴人が再調査、さらに審査の請求等に及んだが、ともに棄却されたことは、当事者間に争いがない。
控訴人は、控訴人の昭和二八年中の事業所得が金六七七、六五八円(金六七六、六五八円と申告したのは、誤記であるという。)を超過しないと主張するのに対し、被控訴人は、少くとも更正額の金八九六、九三〇円を超えて金一、三八二、六〇〇円に達する旨を主張する。思うに、事業所得を算定するについては、商業帳簿の記載によることが正確を期するゆえんであるが、それには帳簿の記載が不断に正確になされていることが前提であらねばならない。控訴人は、甲第二号証によつてその主張の事業所得額を立証しようとする。しかるに、甲第二号証を検討すると、その随所に現金残額がないのに支出が行なわれて、その結果差引残高として赤字の記載部分が見受けられる。商人の備える金銭出納帳にあつては、家事向の収支につき、これを営業上のそれと異なり、家事費用として毎月一定額を一括して差し引くことを妨げないが、営業上支出に見合う収入のないのに、これを引き去ることのできないことに、理の当然のことに属するから、現実の問題としては、引き去る額以上の現金が当時存在したために現金の支出が可能であつたか、或いは、一括でなしに現金の存する都度分割して随時引き去つたものを後日便宜一括して支出の記載をしたためであろうかとも思われる。甲第二号証中の赤字の記載は、家事費用の控除の場合のみでなく、「日掛」その他の支払による場合にも見られる。原審証人副島文造の証言によれば、武蔵野税務署の係官が昭和二八年九月一日頃に所得税に関する調査のため控訴人方へ出向いた折、控訴人は、その事業に関する現金出納帳、洗濯物の受払台帳、売上帳、経費帳等の帳簿書類を提出したので、これを検査したところ、部分的に欠損するものがある等の理由で、その記載に信用がおけないと判断していたことが認められる。当裁判所もできれば事業所得の額を直接に認識するに足る営業帳簿等を証拠として事実の確定をするのが良いと考えるのであるが、控訴人は、本訴において前示甲第二号証を唯一の帳簿として提出するに止まる。その甲第二号証は、以上の説明によつて推認されるように、必ずしも日々克明に記載されたものであることが明らかでなく、後日の整理によつたものであると認めるのほかないとすれば、その整理が正確であることを裏づける資料の提出がない以上、その記載のみを信用して、それ以上の所得がなかつたと認定することができない。原審および当審において、控訴人本人は、営業上の帳簿の記入は、確実になされていた旨を供述するけれども、この一片の供述もまた、到底甲第二号証の正確さを裏付けるに足りない。
みぎの説明のように、控訴人の所得金額を帳簿により算出することができないとすれば、推計によつて認定することも、その方法が不合理のものでない限りやむを得ないものとしなければならない。控訴人が肩書地においてクリーニング業を営むことは、当事者間に争いがなく、原審および当審証人赤羽長一郎の証言によれば、クリーニング業においては、その使用する有形の資材施設等は僅少であり、その殆んどすべてが従業者の労力によつて成立すること、その取扱う洗濯物の種類は雑多であるが、ワイシヤツ(水洗い物)と洋服類(主として、ドライ物)とがその代表的のものであることが認められ、原審証人副島文造の証言によれば、控訴人方においては、洗濯物の仕上げに電気アイロンと瓦斯アイロンとを使用していることが認められる。被控訴人は、控訴人方における昭和二八年度中の電気および瓦斯の消費量(家事用を含むその全量が被控訴人の主張するとおりであることは、当審においては当事者間に争いがない。)から売上高を推算し、これに所得標準率を適用して控訴人の所得を算定した旨を主張するのであるが、以上に説明したところによれば、かような推計計算自体は、合理的でないとはいえないであろう。
二、よつて進んで、右推計計算について判断する。控訴人の所得に関して被控訴人の主張する推計の仕方と額とがほぼその主張のとおりであることについては、当裁判所も、原判決の理由三(記録三〇一丁表七行から三〇三丁裏四行まで)に示されたところと大綱において同様に考えるから、つぎに示す修正のもとにその記載を引用する。すなわち、原判決理由三の第一段の電気および瓦斯の業務上使用量の認定に関する証拠中にさらに成立に争いのない乙第九ないし第一一号証を加え、第二段のワイシヤツおよびズボンの仕上枚数の認定に関する証拠中にさらに当審証人高崎武および同片桐善記の各証言を加え(但し、瓦斯一立方米当り平均仕上枚数の算出については、乙第六号証の三および四のうちのドライ物ズボンの仕上げが瓦斯の使用によるものでないところかろ、この分を除いて)、乙第六号証の一、二と同号証の五、六(乙第六号証の一の瓦斯使用には、水洗い物を含み、同号証の二および六の同上は、水洗い物のみであるが、当審証人片桐善記の証言によれば水洗い物の仕上げは、ドライ物のそれより手間を要することが認められるから、これらを認定資料に供することは、計算の結果を内輪に見積るだけのことである。)のみによつて計算するときは、五、二枚となるので、瓦斯アイロンによるズボンの平均仕上枚数「五、六枚」(記録三〇二丁表九行および裏一〇行)を「五、二枚」に、瓦斯使用量から推計した売上高「金一、四二一、八五七円九二銭」(記録三〇二丁裏九行)を「金一、三二〇、二九六円六四銭」に、総売上高「金二、九八六、九三四円一六銭」(記録三〇三丁表一行)を「金二、八八五、三七二円八八銭」に、所得標準率六〇%を適用した金額「金一、七九二、一六〇円四九銭」(記録三〇三丁表三行)を「金一、七三一、二二三円七三銭」に、控訴人の所得「金一、三八三、〇四〇円四九銭」(記録三〇三丁表六行)を「金一、三二二、一〇三円七三銭」にそれぞれ改め、「及び乾燥用設備等」(記録三〇一丁裏五行)の八字を削るほかは、前記原判決理由三のとおりである。
三、控訴人は、被控訴人の主張する推計計算そのものの不当を主張するのであるが、その当らないことは、さきに一に説明した。ここではさらに、前項に示した推計計算の内容についての控訴人の抗争の理由のないことについて、つぎに説明する。
(1) 被控人は、電力および瓦斯の両消費量のいずれについても、家事用を除く業務用消費量のうち、さらに照明用の電力および乾燥用の瓦斯量として三五%以上を控除しないでは、アイロン用の消費量を算出すべきでないとする。しかし、控訴人の主張するアイロン用以外の業務上消費が三五%以上に達するとの点については、何らの証拠がなく、また、成立に争いのない乙第一一号証によれば、控訴人方では、瓦斯を乾燥用に使用するための特殊の設備をしていないことが認められる。そうして、前項において引用した原判決理由によれば、家事用その他照明用およびモーター用として、電力については、控訴人の住所を担当する東京電力多摩支店武蔵野営業所管内の従量電灯の一戸当り平均九、八灯(控訴人は、九灯)の平均年間消費量の二倍の一、二七七、三八キロワツト(総消費量七、四八八キロワツトの一七%強)を、瓦斯については、控訴人の住所を担当する東京瓦斯西荻窪サービスステイシヨン管内の一般家庭用の一戸当り年間平均消費量の三倍(一戸の人員構成を平均四人と推定し、原審における控訴人本人尋問の結果によれば、控訴人の家族六名および従業員の年間平均五名計一一名であるから、控訴人方の人員構成は、前示平均構成の三倍弱に当る。)の一、七一四、一四立方(総消費量三、八三〇立方米の四四%強)をそれぞれ控除して、その余をアイロン用消費量と推定したものであつて、みぎの控除は、家事用を含むが、なおそれ以上の一般業務用の控除をも含むものと推定される。しかも、当裁判所が推計した控訴人の所得は、前示のとおり金一、三二二、一〇三円七三銭であるところ、更正決定においては、その範囲内で金八九六九三〇円)と査定したに止まり、後者は、前者の六七%強にとどまる。こうしたことを考え併せるとき、被控訴人の主張するアイロン用消費の電力および瓦斯量の推定が過大に失することはないものと思われる。
(2) 控訴人は、電力一キロワツトおよび瓦斯一立方米当り各売上高についての被控訴人の主張が正確でないと種々論難する。しかしこの点については、さきに二に判示したとおり、控訴人の近隣の若干の同業者の業態について被控訴人が調査した結果についての電力および瓦斯の単位量当りの平均仕上枚数および標準洗濯料を証拠によつて認定し得られるのであつて、この認定に反する当審における控訴人本人尋問の結果は、これを採らない。控訴人はまた、ワイシヤツ等洗濯の原価計算をすれば、経費が多額に昇り、被控訴人の主張する洗濯料は、採算を度外視して行われている旨主張するが、甲第四号証の記載および当審における控訴人本人尋問の結果はいづれも、成立に争いのない甲第五号証(当審証人赤羽長一郎の証言により昭和三三年以後の資料によるものと認められる。)の記載と照合して、これを信用することができない。
(3) 控訴人は、昭和二八年中の控訴人の個人営業と、昭和二九年中の控訴人が代表取締役である大竹クリーニング株式会社の営業とは、種々生産条件を異にするから、後者の売上高から前者のそれを推計し得られる旨の被控訴人の主張は、当を得ない旨主張する。当裁判所は、被控訴人のこの点に関する主張を判断の資料に供しないから、この点の非難について説明をすべき限りではない。
四、以上に説明したところにより、被控訴人が昭和二八年中の控訴人の所得について、その推計計算した金額の範囲内で金八九六、九三〇円と認定したことは不当ではない。よつて、この金額による所得税額金二六八、八五〇円と、申告による税額金一六九、〇〇〇円との差額金九九、八五〇円のうち金九九、〇〇〇円に所得税法(旧規定)第五七条第一項の規定による百分の五の税率を適用して計算される金四、九五〇円の過少申告加算税を徴収する旨を決定した被控訴人の処分には違法がない(なお、控訴代理人は、「再調査請求棄却の決定及び再審査請求棄却の決定により附記すべき理由が満されないものは、当該更正決定の法律要件を欠くものであり、その更正決定は、判決により取消される運命を免れない。」旨を主張し、本件口頭弁論の再開を求める。しかし、控訴人の本訴請求は、武蔵野税務署長がした原処分(更正)の取消を求めるものであつて、その理由のないことは、前判示のとおりであるから、みぎ主張は、最高裁判所昭和三六年(オ)第四〇九号昭和三七年一二月二六日判決、最高裁判所判例集第一六巻第一二号民事第二五五七頁の要旨二に照らして、その理由がないことを付記する。)してみれば、これと同趣旨において控訴人の請求を棄却した原判決は正当であり、控訴は理由がないから、これを棄却することとし、民事訴訟法第三八四条、第九五条、第八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 梶村敏樹 中西彦二郎 室伏壮一郎)